菩薩は どんな正しい神様にも愛されます
以前「神の力はスカラー量」「仏の力はベクトル量」という事について書いたことが有りますが、私は自分の信じて来た経典に従って、自分自身の修行をしてきたつもりですが、それは非常に難しく、その時に於かれた自分自身の辛さを消してしまいたいと思うあまり、その道にまい進したと言う事でしょう。
神は本来、その力が強いほど正しいのだと言う事で、その時人が様々な苦しみの中にあったとしてもお構いなしという事でしょう。
それは恐ろしい事です。
しかし現代社会に於いて人々が、心から頼りに思えるような、「信じられる神」がこの世にいらっしゃることは何故なのでしょう。
世界中のどちらの「正しい神」でも、必ず誰かを立てて居られます。
ユダヤ教のモーゼス様、キリスト教のイエス様、そしてイスラム教のムハンマド様がその代表的な方々でしょう。
神はその方々の美しい魂と、心の中にある深い愛に照らされて、きっと大きな感銘を受けたのかと思います。
献身の心とこの世に人として生まれても、俗世の穢れを受けない美しい魂の故に、神は人々を助けようと決心されたのではないかと思います。
その方々がこの世を離れて久しく、神はその方々の美しい魂を継ぐべき者を見つけたかったのではないでしょうか。
その不満の表れとしてあちらこちらに戦いが生じたり、人間同士の不和によって社会の不安が生じたり、あらぬ方向に発展してしまう事があるのでしょう。
仏教徒から見れば、神から選ばれたその予言者の方々は、「菩薩」という名で呼ばれるはずです。
菩薩は自利(自分の利益)と利他(自分を犠牲にして他人に利益を与える事、また他人の幸福を願うこと)を求めて修行するものです。
そしてまた「菩薩」は、神仏習合に於いての日本の神の尊号です。
十界のうち神は天上界に居られますが、この「人を助けよう」という心が生じたとき、菩薩界に昇られるのです。
神が誰か「菩薩と思われる人」を立てて、その人の故にこの世の人々を助けようと思って下さるのなら、神は十界のうちの三段階も上位に昇られると言う事です。
神の心の怒りや焦りなどの不安も消え、心穏やかになられます。
神の心が平安であれば、大きな災いも無いはずです。
それ故神仏習合は、とても好ましい事のように感じられます。
法華経のように菩薩を作る経典は、とても重要で有難いものだと思えます。
経典に従ってこの世を生きる事は、簡単なことではありませんが、修行する人間がやがて訪れる世界は、心穏やかな安心感のある世界に違いありません。
そしてそういった生き方をする人は、世界中のどの「正しき神」にも愛して頂ける存在ではないかと思います。
画像は「2023年の紅葉が始まった八甲田山」です。
今日のフィーリングは、ジョシュ・グローバン氏の「ドント・ギヴ・アップ」、YES イエスさんの「To The Moment トゥー・ ザ ・モメント」、Stanley Clarke スタンレー・クラーク氏の「Heaven Sento You ヘヴン ・セント ・ユー」かな